2015年 10月 08日
変わらなくてもかまわない |
木曜日。10時50分起床、晴れ。コーンフレークとパイナップル食べる。
11時22分出る。浦和、勤め。ひるは ぎんねこへ。もりそば450円。「図書」よみながら食べる。そば湯、おいしい。奥の扉から出、玉蔵院前の公園のベンチに寝て本よむ。
勤め20時50分まで。終え、松栄堂でテレビブロス280円かう。
21時40分帰宅。大根おろす。サンマの干物、おいしい。
「そもそも一人の人間が生涯を通じて本を読んだり特定の関心に導かれて調べたりするのはどういうことなのか。一人の人間が死の床にあってなお本を読みつづけたとして世界のなにかが変わるのか。
変わる。いや、世界など変える必要はないのだから変わらなくてもかまわない。ただ「何かが変わるのか」と問われたから弾みで「変わる」と答えただけのことだ。死の床にあってもなお、それ以前の関心と同じことをつづけるということは、死によって断ち切られないと示すことなのではないか。死によって断ち切られないということは、その関心がたまたま与えられた生の期間という期限つきの関心ではないと示すことなのではないか。」(『遠い触覚/保坂和志』p195)
11時22分出る。浦和、勤め。ひるは ぎんねこへ。もりそば450円。「図書」よみながら食べる。そば湯、おいしい。奥の扉から出、玉蔵院前の公園のベンチに寝て本よむ。
勤め20時50分まで。終え、松栄堂でテレビブロス280円かう。
21時40分帰宅。大根おろす。サンマの干物、おいしい。
「そもそも一人の人間が生涯を通じて本を読んだり特定の関心に導かれて調べたりするのはどういうことなのか。一人の人間が死の床にあってなお本を読みつづけたとして世界のなにかが変わるのか。
変わる。いや、世界など変える必要はないのだから変わらなくてもかまわない。ただ「何かが変わるのか」と問われたから弾みで「変わる」と答えただけのことだ。死の床にあってもなお、それ以前の関心と同じことをつづけるということは、死によって断ち切られないと示すことなのではないか。死によって断ち切られないということは、その関心がたまたま与えられた生の期間という期限つきの関心ではないと示すことなのではないか。」(『遠い触覚/保坂和志』p195)
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by w-nemunemu
| 2015-10-08 01:43
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