2016年 11月 17日
霞 |
木曜日。8時45分起床、晴れ。
9時8分、バナナ食べながら出る。駅でオロナミンCかって飲む。浦和、勤め。昼はやぶそばへ。肉南蛮そば。おいしい。玉蔵院前の公園のベンチに寝て本読む。
勤め17時55分まで。18時40分帰宅。サンマのかば焼きの弁当、メンチカツ、粉のアボカドのスープ、茶わん蒸し食べる。
大学を中退した2年前の春から半年、渋谷の教室での切通理作氏のエッセイ、ノンフィクションを書く講座を受講していた。『お前がセカイを殺したいなら』の頃の切通氏の文章が好きだったから決めたのだが、集まった15人ほどの人は特に講師に対してこだわりがあるわけではなく、20代後半から40代ぐらいで、同い年は小杉健治の娘だといういつも派手な格好をした女性だけだった。勝手に何か、昔のジャーナリスト専門学校みたいな、もっと鬱屈したような人達をイメージしていたのだが、それなりの仕事に就いた人当たりのいい人ばかりで、最初の講義で読まされたそれぞれの文章にも一つも興味の持てるような物はなかった。切通氏の指導自体は真摯なものだったとは思うが、その頃はなんでこんな文章を無理して褒めるのかといらいらしたし、特にそれについて具体的に触れることはなかったにせよ手本のような扱いでSPA!の勝谷誠彦の連載なんざの綴りを配られたのには閉口した。その後3回ほど出席した後、自分はまとまった文章を書くこともなく、10万円の受講料を毎月分割で払いながら通わなくなった。
最終回の迫った9月、定期的に送られてくるメールで、次回はゲストの雨宮まみ氏を迎えての特別講義だとの通知があった。『女子をこじらせて』はしばらく前によんでおり、切通氏と以前イベントに一緒に出演したりしていたのは知っていたが、最近の切通氏の仕事を雨宮氏が果たして認めているのかは疑問であり、そんな、付き合いで出るようならあまり見たくもなかったし、自分も何も書かずに人の文章をあげつらうようなことばかり言っていたので顔を出すのもためらわれたが、結局、当日の課題だった『女の子よ銃を取れ』をよむことも、質問を考えることもなく、久しぶりに教室へ行った。後ろの方の席に座る。雨宮氏は白い服を着ていただろうか。切通氏との対談を終え、質問の時間となる。他の人がどんな質問をしていたか全く覚えていないが、順番で指名されると自分は憧憬するような場の空気に抗うような気持ちもあり、こんなことをぼそぼそと訊いたのだった。
「あのー、人が生きていくのに文章なんて、絶対に必要なものじゃー、ないじゃないですか。必要がないって言うと語弊があるかもしれませんけどー。そう考えると、こう、なんていうか、自分のライターという仕事の足もとが、ゆらぐー、みたいなことは、ないんですかねー。」
促すような目をして聴いていた雨宮氏はたしかこのように答えた。
「そういう風に思うことは、ないですね。もうとっくに、しょせん霞を食って生きてるって割り切ってるんで。人の役に立ちたい、っていうんだったら、もっと別の仕事が、あるんだと思います。」
教卓の上で著書に頼まれてサインをしている雨宮氏に、横から、ありがとうございました、と言って出口へ向かう。斜めに少しだけ顔を上げ、不意だったらしく柔らかいとは言えない目線で、ありがとうございます、と返される。その9日後からここを書き始めた。
by w-nemunemu
| 2016-11-17 00:07
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