2016年 11月 07日
弱さの音色 |
月曜日。8時40分起床、晴れ。
9時8分、机にあった半分残っているチョコのパンを持って出、駅で急いで食べる。浦和、勤め。昼はキッチンダイアへ。日替わりは入らないと何かわからない。一口ステーキ600円。おいしい。玉蔵院前の公園のベンチに寝て本読む。
勤め今日はずっと裏の仕事で早く済み、17時20分まで。終え、ベローチェへ。ブレンド200円。
18時50分出る。おおくまさんから電話あり19時半集合とのこと。駅抜け、桜扇へ。ホイスとカシラ2本600円。
19時22分出、ダイソーへ。まだ誰も見当たらなかったので中に入りうろうろ。出るとおおくまさん来る。3分ぐらいして わださんも。
こっちのダイソーでは磁石付きのカゴおいてないらしく、ヨーカドーの中のダイソーへ。カゴかう。324円。中山道まで出てローソン。缶チューハイとから揚げ、ポテトチップス海苔たらこ味かう。玉蔵院前の公園を抜ける。ベンチのビニール袋の中にエアガンのような。工事中のさいたま会館の白い壁にカゴをくっつけ、裏輪飲み。県庁の方から歩いてきた人がよけて過ぎていく。
10分ぐらいで移動し、さくら草通りへ。変電盤みたいのの側面にカゴをくっつける。塾の迎えの車。しばらくしてちゃんひーさんが自転車で。
15分ほどで移動。うらもん通りの弁慶へ。生キウイサワーと、新しい骨董のボトルでお湯割り。マグロの刺身と、オクラ、ニラ玉、うど、おでん、焼きおにぎり。いろいろお話。わだ姉。おおくまさんの きんさんの話がよかった。
22時50分ごろ出る。ちゃんひーさんとお別れし、3人でひとりあじへ。ボトルでホッピー。
23時45分出、ラーメン王。ウーロンハイとマーボー豆腐。
24時一人先に発つ。電車の床に座ってしまって今週の土曜の朝日新聞beをよむ。「みちのものがたり」、文章よみはじめてすぐ執筆者が近藤康太郎だ、とわかる。面白い。24時半過ぎ帰宅。
『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か/杉田俊介』集英社新書よみ終えた。
「弱音。
弱さの音色。
それはわるくない感じだ、と思えた。
僕が子育てから学んだのは、愚痴を言うことと弱音を口にすることは、ちょっと違うのかもしれない、ということである。愚痴とは、たぶん、ストレスを吐き出し、そのことで自我の輪郭を修復することである。それに対し、弱音とは、自分の弱さを認め、受け止めた上で、自我の輪郭を今よりも柔らかく変形させ、変えていくことなのだと思う。
これは、愚痴と弱音のどちらのほうがいいか、という話ではない。人生の中では、自分の中に痛みを抱えこまず、愚痴を言うことも、誰かに弱音を吐くことも、どちらも必要なことなのである。」(p135)
「今も時々、妻や我が子の横で、一人寝つけない夜などに、天井をぼんやり見つめ、遠くの電車や救急車の音に耳をすましていると、背中のアトピーの痒みをさすってもらう手の安心と、胸元の超未熟児に乳房を吸われる少しマゾヒスティックな母性のようなものと、初めて体を重ねた女性の体液のねばねばした優しさと、B君の屈曲した手足や腰の異形のぬくもりと、自分の「男」としての輪郭が静かに溶けあって、雑ざっていき、家の外の夜の空気が僕の身体の中に染みこんで、天井や、小動物が走るような風の音や、夜の闇や、僕の身体が溶けて雑ざりあっていく、そんな感じに身を委ねようとするときに、ほんの少しだけ、この世界という大いなるもの、根源なる自然のようなものに寄り添われている気がしてそのまま、いつしか、安らかな眠りについているのだった。」(p223)
by w-nemunemu
| 2016-11-07 01:14
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