2015年 08月 13日
だけど何時も背中は |
木曜日。10時10分起床、曇り。グラノラ食べる。
55分出る。浦和、勤め。昼はいこい食堂へ。スタミナラーメン半チャーハン600円。おいしい。お店の人他に一人だけいた客の女性と東口の中華屋事情を話す。アイスかって玉蔵院前の公園のベンチで食べ、寝て本よむ。
勤め20時半まで。終え、新しく入ったTさんと駅の方向が一緒なので一緒に帰る。いろいろと身の上を喋る。
22時半帰宅。ドミノピザを頼み、父が受け取りに行ったらしい。おいしい。
『人が人の中で生きてゆくこと 社会をひらく「ケア」の視点から/中西新太郎』はるか書房よみ終えた。
昨日の朝刊に11行で窪川鶴次郎と佐多稲子の息子、窪川健造の訃報。映画監督だったのか。窪川鶴次郎の自伝的小説『新浅草物語』の最後章「その後」に出てきていたのを思い出す。
「生れて二、三ケ月の赤ん坊を抱いた清子といっしょに、前の年の秋喀血して療養していたわたしは、はじめて浅草までの遠出をして、仲見世の横を入った鳥屋の一室に、労農党の解散前後からいっしょに大学を放り出して働いていた山上と御馳走を食べていた。かれはまったく非合法の生活に入って、今は共産党の組合関係の仕事をしていた。普通の親子連れの家族のように清子にわざわざ赤ん坊を抱かせて来たのはそのためであった。」(『新浅草物語』造形社p381)
佐多稲子の小説「愛とおそれと」のドラマ版や「木枯し紋次郎」の4話「女人講の闇を裂く」の演出を手掛けていたことを知る。両方ともだいぶ前に原作を読んでいて、「愛と~」の方はなんか取って付けたようにプレスリーとか出て来た以外にあまり印象がないのだが、小6から中1にかけて15巻すべて読んだ笹沢左保の「木枯し紋次郎」には、だいぶ影響を受けた。「女人講の闇を裂く」もおぼろげに覚えている。
「私は此のドラマが大好きで、何時も彼の様に、優しさを安売りしない生き方をしたいと思ってるんですが、なかなかそうも行かず、不甲斐無い毎日であります。此のドラマは毎回サブタイトルが凝って居て、「夕映えに水車は軋んだ」とか「峠に哭いた甲州路」とか「湯煙に月は砕けた」とかって感じなんですが、此の曲のタイトルは其れに倣っております。」竹内圭http://homerun.webcrow.jp/jinta/index.html
55分出る。浦和、勤め。昼はいこい食堂へ。スタミナラーメン半チャーハン600円。おいしい。お店の人他に一人だけいた客の女性と東口の中華屋事情を話す。アイスかって玉蔵院前の公園のベンチで食べ、寝て本よむ。
勤め20時半まで。終え、新しく入ったTさんと駅の方向が一緒なので一緒に帰る。いろいろと身の上を喋る。
22時半帰宅。ドミノピザを頼み、父が受け取りに行ったらしい。おいしい。
『人が人の中で生きてゆくこと 社会をひらく「ケア」の視点から/中西新太郎』はるか書房よみ終えた。
昨日の朝刊に11行で窪川鶴次郎と佐多稲子の息子、窪川健造の訃報。映画監督だったのか。窪川鶴次郎の自伝的小説『新浅草物語』の最後章「その後」に出てきていたのを思い出す。
「生れて二、三ケ月の赤ん坊を抱いた清子といっしょに、前の年の秋喀血して療養していたわたしは、はじめて浅草までの遠出をして、仲見世の横を入った鳥屋の一室に、労農党の解散前後からいっしょに大学を放り出して働いていた山上と御馳走を食べていた。かれはまったく非合法の生活に入って、今は共産党の組合関係の仕事をしていた。普通の親子連れの家族のように清子にわざわざ赤ん坊を抱かせて来たのはそのためであった。」(『新浅草物語』造形社p381)
佐多稲子の小説「愛とおそれと」のドラマ版や「木枯し紋次郎」の4話「女人講の闇を裂く」の演出を手掛けていたことを知る。両方ともだいぶ前に原作を読んでいて、「愛と~」の方はなんか取って付けたようにプレスリーとか出て来た以外にあまり印象がないのだが、小6から中1にかけて15巻すべて読んだ笹沢左保の「木枯し紋次郎」には、だいぶ影響を受けた。「女人講の闇を裂く」もおぼろげに覚えている。
「私は此のドラマが大好きで、何時も彼の様に、優しさを安売りしない生き方をしたいと思ってるんですが、なかなかそうも行かず、不甲斐無い毎日であります。此のドラマは毎回サブタイトルが凝って居て、「夕映えに水車は軋んだ」とか「峠に哭いた甲州路」とか「湯煙に月は砕けた」とかって感じなんですが、此の曲のタイトルは其れに倣っております。」竹内圭http://homerun.webcrow.jp/jinta/index.html
by w-nemunemu
| 2015-08-13 03:21
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