2015年 02月 19日
川合玉堂 |
8時40分起床、晴れ。ごはん、おでん食べる。
9時出る。浦和、勤め。昼は松屋へ。
18時まで。『辻征夫詩集』岩波文庫新刊でかう。560円。
ユザベロ寄り帰宅。父と夕飯。ステーキ、納豆。
遅れて2月12日の朝日新聞朝刊を読んでいると、教育面(11面)の「おやじのせなか」欄で、声優の野沢雅子が父親のことを語っている。冒頭には「日本画家の野沢蓼洲で、川合玉堂さんの弟子でした」とある。
同じ朝刊の社会面(30面)の訃報欄。写真家の大倉舜二の死が14行で伝えられている。その末尾は「日本画家、川合玉堂の孫」だった。
野沢雅子のことも野沢蓼洲のことも川合玉堂のことも大倉舜二のことも何も知らなかった。ただ、大倉舜二の祖父の川合玉堂の弟子の野沢蓼洲の娘が野沢雅子であるということを知ることができた。それが、なんかよかった。
9時出る。浦和、勤め。昼は松屋へ。
18時まで。『辻征夫詩集』岩波文庫新刊でかう。560円。
ユザベロ寄り帰宅。父と夕飯。ステーキ、納豆。
遅れて2月12日の朝日新聞朝刊を読んでいると、教育面(11面)の「おやじのせなか」欄で、声優の野沢雅子が父親のことを語っている。冒頭には「日本画家の野沢蓼洲で、川合玉堂さんの弟子でした」とある。
同じ朝刊の社会面(30面)の訃報欄。写真家の大倉舜二の死が14行で伝えられている。その末尾は「日本画家、川合玉堂の孫」だった。
野沢雅子のことも野沢蓼洲のことも川合玉堂のことも大倉舜二のことも何も知らなかった。ただ、大倉舜二の祖父の川合玉堂の弟子の野沢蓼洲の娘が野沢雅子であるということを知ることができた。それが、なんかよかった。
by w-nemunemu
| 2015-02-19 01:40
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